高校野球では近年稀にみる剛速球で、
すでにスカウト人からも大注目の佐々木朗希選手。
まだまだ伸びしろが期待されていますが、
ここまでの成長を遂げた裏には陸前高田での震災や
大船渡への移住など、様々な苦労があったそうです。
陸前高田で生まれ育ち、震災や大船渡での生活を経て、
今さらなる活躍をみせる佐々木朗希選手についてまとめてみました。
目次
佐々木朗希選手は陸前高田での東日本大震災被災!大船渡に移住しさらなる成長を遂げていた!!
【163km 佐々木朗希に壁あるか】https://t.co/FqNPxounI8
岩手県立大船渡高校3年の佐々木朗希は、国内高校史上最速の163キロを記録した190センチ右腕。「令和の怪物」に壁はあるのか。大記録達成の少し前の3月下旬、5日間の関東遠征を追いかけた。
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) 2019年4月13日
現在高校3年生で、今年の甲子園出場が決まればさらなる大注目間違いなしの佐々木朗希選手。
日本人の規格を超えているとまで言われる佐々木朗希選手の「すごいところ」はこちらです!
・身長189センチ・81キロとかなりの高身長。
高校に入学してからも身長はとまることなく伸び続けているというので、190センチを超える日も近いかもしれませんね!
・野球をはじめたのが小学校3年生からと比較的遅めなスタート。
才能が開花してからの成長スピードがすごかったことがわかりますね。
・大船渡市立第一中学校では軟式野球部に所属。
中学生かつ軟式野球の時点で、すでに141キロの球を投げていたとか!
・大船渡高校に進学後は1年生で147キロ。2年生で154キロ。
3年生になりついに163キロとグングンと球速をのばしています!
すばらしい実力を兼ね備えた佐々木朗希選手ですが、
東日本大震災でふるさとの陸前高田市が甚大な被害にあい、
お父様を亡くされています。
震災当時小学生だった佐々木選手は、その後お母様とご兄弟とともに大船渡へ移住し
大船渡市立第一中学校を卒業した後、岩手県立大船渡高等学校へ進学されています。
そこでとても深い絆で仲間たちとむすばれ
「中学時代からのチームメイトを甲子園に連れていきたい。自分がいれば連れていけるのかな。今のメンバーでいきたい。」
と語ったという佐々木選手。
全国の強豪高校からスカウトがあったにも関わらず、
大船渡に残ることを中学時代に決断している佐々木選手。
高校でもさらなる成長を遂げ、いよいよ高校生活最後の夏の甲子園。
大船渡高等学校が甲子園に出場し、活躍している姿を全力で応援したいですね!
あのレジェンドたちの高校時代?
あのレジェンドたちの高校時代のマル秘話を、少しだけまとめてみました
イチロー選手
ひょろりとやせ細った体系ながらも自信満々に入部してきた青年に、
当時の監督はこんなにも才能を秘めた選手だということは
想像もつかなかったそう。
その後実戦でバンバンヒットを重ねるイチロー選手と上級生との関係性を気にかけたそうですが、
茶目っ気のあるキャラクターで上級生からも好かれていたというから、本当にさすがですね。
夜に寮を抜け出しては真っ暗な砂場で何時間も素振りをしていたというから、野球に対する熱い思いは
当時から人一倍みなぎっていたのでしょうね。
ゴジラ松井選手
清原選手や桑田選手など、モンスター級の選手が入り乱れた松井秀喜選手の高校時代。
高校入学当時の松井選手は、大学まで野球がやれれば良いなという程度だったというので驚きですね。
しかし入部後は1年生から四番打者をつとめ「星陵恐怖の1年生四番」として話題になりました。
高校3年の春の選抜開幕試合で、その活躍ぶりを長嶋茂雄さんがみていたことがきっかけで
巨人への入団が決まったという話が伝説になっています。
松坂大輔選手
「さぼりのマツ」といわれるほどの練習嫌いで知られていたという松坂選手。
しかし2年生での神奈川大会準決勝でのサヨナラ負けで一念発起し猛練習。
3年生になるころには150キロ超えの速球をたたきだし、のちに「平成の怪物」とされるまでの切れ味鋭いスライダーを武器に
負け試合ゼロという高校野球での伝説をつくりあげたのです。
ネットの声まとめ
出典:twitter
まとめ
恐らく私たちでは想像もできないような苦労と決意で野球に打ち込む佐々木朗希選手。
支えてくれているたくさんの人々の気持ちをのせて、今後も活躍していってほしいですね。
何があっても夢をあきらめない姿をこれからもみんなで応援していきましょう!
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